2012年11月30日金曜日

伊勢2





































今回の伊勢行きでの最大の目的は、日本最高の聖地にて厄払いをしてもらうことだった。
大厄の今年、意に反して様々な障りが自分の身に降りかかったからだ。
厄年そのものに意味がある訳ではないが、古からの長きに渡る人類の叡智、ナチュラル統計学であり、体内のホルモンバランスの変化や、意識と身体能力の乖離が起こる故に、内からも外からも看過出来ない変化や事象があり得る年代ということなのだろう。
まさか自分がと思う一方、そういう年齢になったのだということを強く実感した1年だった。
それ故、ファイナルが三重と決まった段階で、何はともあれ行くと決めたのだ。
もし、今年が伊勢より遠く離れていれば、或いは敗復のためにファイナルへは行かなかったかもしれないが、因果、或いは事象そのものに意味を見出すなら、それ故、今年は三重だったのだと解釈するのも有りなのかもしれない。

何にしても非科学的ではあるが、禊、或いはケジメ、リセットの為に伊勢へと向かった。
もっとも、日本の神様の神威は、時間や場所に縛られない。
一神教の神とも違い、多元同時多発的に、完全同一のものとして天下る。
だから、伊勢である必要は何処にもないのだが、伊勢から熊野にかけての、所謂パワースポットに踏み入ってしまうと、自分の物理的身体の浄化というものが有りそうな気がしてしまうのだ。
そして、そう信じることが、体内の活性化を促し、難局を乗り越える糧となるのだろう。

信仰心はともかく、経済的にゆとりがあるなら昇殿にて厄払いを受けたい程ではあったが、それにて苦境に立ってしまうのでは本末転倒なので、数人の祈願者と共に今後の展望を願い、何れにしても、真摯に厄払いを受けて来た。

当日、内宮では新嘗祭の真っ只中で、先ず赴いた深層拝殿に辿り着くのにかなりの時間を要した。
その最中、毎度思うことでもあるが、この地は本当に膨大な気が感じられる場所だ。
外宮とはやはり違うのだ。
古の人々の感性なら、さぞ身につまされる場所であったろう。

こちらも式年編宮により、今の社は今回が最後となりそうだ。
次はいつ訪れることになるのだろうか。
その次の編宮迄には訪れたいと思う。
となると還暦か。
って還暦かよ。
笑える。
そして笑う門には福来たる。
そう、あろう。
な、瀬菜。^^