2011年10月21日金曜日

Lytro




昨日に引き続きカメラネタ。
ついにLytroが発売される。
https://www.lytro.com/mobile

技術デモを最初に見たのはずいぶん昔になるが、ようやくの製品化。
特徴としては、撮影後にフォーカス位置をコントロール出来る写真が撮れるというのが唯一にして全てという、極めてニッチなカメラである。

写真のボケというのは、レンズの焦点距離、絞り値、絞り形状、撮影距離、記録媒体のサイズなどによって規定される、極めて光学的な表現である。
更には、ガラスの材質、コーティングの材質、種類などが加味されることによって、レンズの味にまで昇華する。
本数は多くはないが、それぞれのメーカーには名レンズというのがあり、そのレンズを使いたいが故に、そのメーカーのカメラを使うといった話にさえなる程重要なポイントだ。

もちろん、コレは、あくまでも表現上の話であり、撮影後の写真にみられるボケ味の話である。
決して、レンズの構成、枚数や製造年月日、製造された工場、コーティングに使われている材質などの、おたくネタの話ではない。
とはいえ、これらが真の意味で重要だったのは、やはりアナログ時代までだと思っている。
フィルムとのマッチングも重要だったからということもあるが、デジタルになり、記録された光の情報が、カメラ側でどソフトウエア的にいじられてしまっているからだ。
ならば、光学的な案件なんかに一切捉われるコトなく、何処までもいじればイイじゃんかと思えるのだ。
温故も良いが、技術も表現も、そうで無ければならないと規定されるべきモノではない。

肖像画が写真に置き換わった時、マニュアルフォーカスがオートフォーカスに置き換わった時、フイルムがCCDに置き換わった時、CCDがCMOSに置き換わった時、その度に様々な声が上がる。
それは普通のコトだが、結果的には時代とともに変化していくものなのだ。
このLytroは、次世代を模索する中で芽生えたサゼスチョンだ。
大メーカーが、今のエコシステムをそうそう簡単に変革させることはないだろう。
しかし、近々では、Appleがそうだった様に、周縁部が本丸を淘汰するという栄枯盛衰は、歴史を振り返ればありきたりの事象である。

撮影後にフォーカスをコントロール出来るというのは、色味をコントロール出来るのと同等以上に、撮影者にとっては、切望される夢である。
その一瞬に、自分のスキルをもって、自分のカメラとレンズで、その場の光を状況をコントロールしきる職人芸というのも、カメラマンという職業人にとっては重要かもしれない。
自分にも、そういうコトを追い求めていた時代があった。
しかし、今の自分にとって重要なのは、写真を撮り、そしてそれを見る、見せる、魅せるという一連の流れだ。
それを、どの様な機械と手法で実現したのかは全く重要ではない。
だから今の自分にとっては、iPhoneが最良のなのだ。
話はズレたが、淘汰されるかどうかは分からないが、Lytroは撮影者にとっては一つの夢だ。
工業製品としては、フォーカスをコントロールしたいというユーザーが少なければ技術デモで終わってしまう儚い夢である。
ただ、一撮影者としては、極めて興味深い、是が非でも手に入れるべきアイテムである。
国外出荷される様になったら、即手に入れてみたいと思う。
使い勝手とか、その辺には、あまり期待してないけどね。^^;
将来があるとすれば、ライセンシーされた後だと思うし。

ともあれ、コレで瀬菜を撮ってみたい。
結局、ココなのよ。^^


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